東大な人:樋渡啓祐さん

2018.03.27 インタビュー Facebook Twitter Line

佐賀県武雄市市長の樋渡啓祐さんは、総務省の官僚を務め、全国最年少(当時)で市長になり、テレビドラマ「佐賀のがばいばあちゃん」のロケ誘致など地域活性化のために精力的に働いており、全国から注目を集めている。これまでの人生について学生時代と市長になってからを中心にお話を伺った。

東大に入るまで

樋渡啓祐さん

中学校は面白かったです。田舎の中学校だったこともありいろんな人がいて話していて楽しかったです。部活はバスケット部に入っていたのですが、しごきがあまりに理不尽で、あるとき「ふざけるな」って部長に掴みかからんばかりに抗議したら、「お前がふざけるな」って言われてやめさせられました(笑)。

そのあと元気をもてあまして、あまりよろしくないことをしていたので、担任の先生に何かの部活に入ってくれと言われて廃部寸前の卓球部に入れられました。水泳部を辞めた人とかバスケット部を辞めさせられた僕とかそういう人の集まりでしたから、夏の暑い時は体育館で卓球をせずに水泳部の手伝いに行くなど結構適当でした。でもやってみると結構面白くて、公民館でにわか練習をしたり、ランニングしたりしているうちに俄然熱中し、県大会まで行きました。

逆に高校は面白くなかったです。中学校と違って生徒が成績で区切られていて、均質だったので、様々な人がいる中学校のほうが面白かったです。それで引きこもり気味になって、あまり学校には行かなかった時期も。

高校2年生の時の武雄高校の創立記念日の記念講演にたまたま隣の西有田町(現・有田町)の町長さんの話を聞きました。その話が無類に面白かったです。身振り手振りを交えて、車いすマラソンや棚田ウォーキング、今でいうユニバーサルデザインのことなど、20数年前の当時としては、そして今でも通用する先進的なものを面白おかしく説明してくれたのです。

その人の話を聞いて、「僕も将来こんなふうになりたい」と漠然と思いました。しかしそれはずっと先、自分が50歳か60歳になった時だと思っていました。そこから人生を逆算して、そしてどうしたら良いかと考えて、じゃあ大学は国立が良いだろうと思いました。どこの大学が良いのか情報も無く判らなかったのですが、どうせ目指すなら一番がいいだろうと思い東大を受験しました。東京というのも魅力でしたね。もし、高校時代、東大の情報がたくさんあったら、気おくれして志望していなかったと思いますが、逆に、情報が無いのでのびのび勉強ができました。知らぬが仏、そして東大に運良く入れました。

モラトリアムとしての大学生活

樋渡啓祐さん

入学してすぐは、燃え尽きた状態になってしまいました。僕の高校では4年ぶりの東大合格者だったぐらいで、東大入学が自分にとってはハードルが異様に高かったこともその一因でしょう。挫折感と閉塞感がありましたね。周りは頭がよさそうだし、授業も面白くなかったですし。僕が学生のころはちょうどバブルで、僕は田舎から出てきたから、貧しかったとまでは言わないけれど、バブリーな人たちとの格差は感じました。今では考えられませんが、学内にフェラーリが3台も停まっていたりしましたから。

授業が面白くないというのは、僕らが学生だった頃つまり20年くらい前は、ベルリンの壁崩壊など世の中が大きく動いていて、高校や大学で習ったことと現実とがあまりに違う方向に行っていたので、先生の言っていることが違うんじゃないかって感じたからだったと思います。僕は文IIから経済学部に行ったので経済を例にとると、マルクス経済とテレビで見ることが全然違っていたわけです。そういうわけで最初は完全な燃え尽き青年で、引きこもり気味になって、床ずれができるんじゃないかっていうぐらい家で寝てばかりいました。

でも東大に行って良かったことは、努力してもかなわない世界がここにあるのだということに気付いたことです。高校までは努力すれば何とかなると思っていました。でも、大学に行っている時に、ノーベル賞級の頭いい人がすごく沢山いますから、そのことに気付きました。

転機となったNHKの集金アルバイト

そんな大学生活の転機となったのが、NHKの集金のアルバイトです。駒場キャンパスで募集のビラをたまたまもらって、直感的に面白そうだなと思って始めました。やってみると面白かったです。なぜかというと、ただお金下さいって行くわけじゃなくて、やはりいかにお金を引き出すかという作戦があるわけですよ。だからそこで戦略とそれに基づく戦術、交渉術というのを学びましたね。どうすれば短い時間にお金が稼げるか、また、お金を払う人に納得してもらえるかを考えて。その時にビジネスの要諦を学んだ気がします。

また人と話すのが楽しくなりましたね。集金に行った先や職場でいろんな人たちと話しました。そして結構お金がたまったのです。当時NHKの集金バイトをしていた学生は、早稲田や慶応など他の大学の人も含めて200人ぐらいいました。その中で僕はずっとトップでした。さまざま工夫をして作戦を立て、それでやればできるんだなって再確認できました。たまったお金は、本やCDあるいはライブにつぎ込んでいました。僕はクラシックが好きだから、コンサートにも積極的に行きました。そうして生の音楽に触れていると、今まで知らなかった新しい世界があることに気付かされたのです。

世界が自分のキャンパス

それで、じゃあそうやって知った新しい世界を直に感じたいと思って、一念発起して世界20カ国ぐらいを巡る旅に出たのが大学の後半です。だからほとんどキャンパスにはいませんでしたね(笑)。僕のキャンパスは世界だって思っていましたから。

旅行した先で心に残っているのはイタリアです。ある時イタリアのシエナという都市の近くの貧しい街に行きました。日本人は初めてだと言われました。そこでアッと思ったのは、みんな人生を楽しんでいるということです。身なりは貧しいのですが、家族や地域の人と楽しんでいるのです。

樋渡啓祐さん

町の真ん中にカンポという名の広場があり、周りに教会や床屋やカフェのような店が並んでいたり、集会所があったりします。はじめ4時ぐらいにそこに行った時には誰もいなくて、「さびしい街だな」と思ったのですが、夕方になるとどんどん人が集まってダンスが始まり、一方ではチェスをやっていて、いきなり縁日みたいになりました。面白い人生模様をみることができました。映画でいうと、「ニュー・シネマ・パラダイス」(日本では1989年に初公開)のワンシーンみたいでした。彼ら彼女らは、決して物質的に豊かではありません。しかし食べ物を持ち寄ったり、僕みたいなファーストジャパニーズを「おいで」と連れて行ってくれたりしました。しかも僕を泊めてくれました。家族の一員のおねえちゃんがかわいくて、彼氏がいると言っていましたけど、彼氏がいなかったらその場で求愛していたかもしれません(笑)。家族みたいに親切にしてくれました。

居心地も良いし、なかなか立ち去るタイミングがつかめなくて、お世話になった家族は、別れるときは泣いてくれました。そこで人のつながりとか絆とかを学びました。そして精神的に豊かなことは物質的に豊かなことよりも高次だなと思いました。それを大学の時に感じられたっていうことはとても大きかったです。自分で入っていって体験したことが、その一瞬が何万冊の本を読むよりも僕にとっては価値がありました。まちづくりで大切なのは気持ちだと思いました。その人たちは自分たち、そして自分たちの生まれた街を誇りに思っていると言っていましたから。

でも日本は全然違うでしょう。物質的には豊かでも、人の悪口言ったり人の足引っ張ったりっていうのは武雄市みたいな田舎でもやっぱりあるんですよ。それは教育のせいでもないと思います。イタリアの教育はめちゃくちゃでしたから。それとはちょっと違うと思います。地域のつながりっていうのは大事ですよね。昔は行儀の悪い子がいると地域のおっちゃんが注意したり指導したりしていたけれど、今はそういうのが体罰とか言われてなくなって、孤立していますよね。

旅に出る前は、東大に入ってちやほやされて、自分は凄いなと思っていました。しかし世界を旅した時に、「東大は北京大学の横か」なんて言われるんです。完全にone of themだと思いましたね。だから日本が一番ではないなというのは世界を旅している時に気付きました。そこで相対化ができましたね。

大学生活を振り返って

本当に、前半と後半はえらい違いですね。前半は燃え尽きて、偶然始めたNHKの集金バイトをきっかけに後半ははじけちゃって、その反動がすごかったです。それまで持っていた自信を失った大学時代。頭いいやつは沢山いますし、お金持ちはいくらでもいますし、格好良い人もいくらでもいます。しかし、 NHKの集金バイトで頑張ってずっと一番になって、やればできるんだと再度思いました。それが新しい自信になりました。だから偶然を掴むというのはすごく大事なんだと思います。僕が最年少で市長になったのも、やはりその時々に掴んできているからですね。それを最初に学んだのもまた大学時代でした。

4年間はあっという間でした。だから今思うのは、もうちょっと学生やっていれば良かったということです。大学は4年間しかないでしょう。もうあと 2、3年の学生をしとけば良かったと思います。学生時代はモラトリアムですから。社会人になった今なら分かるのですが、社会人になると自由に使える時間がほとんどないのです。だから学生時代にもっとこうしておけば良かったと思うこともいろいろあります。そういう意味では4年間はもったいなかったですね。

キャリアになって

高校の時に抱いた首長になるという夢をかなえるには、今でいう総務省にあたる総務庁に入るのが良いだろうと考えて、大学卒業後は総務庁に入りました。キャリアだったので駆け出しの時からいろいろ大きな仕事をさせてもらえました。総務庁に入って以来、左遷や栄転を繰り返しましたが、その中で、出向先の内閣官房ではとても一人ではできない仕事を経験しました。それとチームでやった時の達成感を味わいました。今「官僚たちの夏」ってドラマやっていますよね(※取材時は2009年8月)。全部がああだとは言わないけど、雰囲気はあのままなのです。法案通した時などやはり泣けましたね。大の大人が泣いていたんですよ。その達成感や充実感が次また人のためにやろうっていう気にさせてくれますし、自信となるんです。

その繰り返しで、出向して大阪府高槻市の市長公室長(企画広報部長)のときは隣の吹田市から関西大学の誘致にも成功しました。幼稚園から大学院まで丸ごと誘致しようというすさまじい構想を立て、それに沿って、今もう出来上がりつつあります。あとはそんなふうに結構いろいろなところでバリバリやっていました。そういうわけで関西弁を話せない公務員として向こうではちょっとした有名人でした。このときも市役所の仲間に恵まれました。今でも付き合いが続いています。

市長になったきっかけ

樋渡啓祐さん

市長になったきっかけは、ちょっとしたことでした。30歳の時に高校時代の同級生の結婚披露宴に呼ばれスピーチをしたことです。その披露宴は政治家一族の披露宴でした。そしてそこで行った私の即興のスピーチが抜群に面白かったらしく、その場で、次の武雄市長選挙に出てほしいと言われました(笑)。

もともと僕は父親も母親もサラリーマン・兼業農家で、政治には全く縁遠い立場でした。僕自身も、政治には縁遠い、地盤もないし看板もない人でした。それで、本当は32歳の時に出馬させられそうになったのですが、それはいくらなんでもあんまりだろうって僕の親が拒否したのです。それで4年後36歳の時に出番が巡ってきて、選挙に出ることになりました。しかし、一貫して出馬を促し続けた地元の皆さんには、今でも感謝しています。

実はそのときもう一つエポックメイキングがありました。とある県庁から、副知事としてきてくれと言われたのです。それに加えて、高槻の市民の皆さんから、「来年、高槻市長選があるからそこに出てくれ」とも言われました。高槻市は35万都市です(武雄市は人口約5万人)。これで僕は結構自惚れてしまいました。これはいいなと思ったんです。他にも仕事を一緒にしたいというオファーはいっぱい来るし。

それで、武雄の人についそのことを言ってしまったのです。そしたら聞いていたその人に「お前、佐賀以外、東京とか大阪とかで活躍しても、お前を育てた人は誰も喜ばんぞ。お前ができることは今、力があるうちにここを立て直すことだろう。お前の死んだ草葉の陰のじいさんは誰も喜ばんぞ。聞いてみろ」などと言われてしまいました。

そのときなるほどと思いましたね。30代半ばで体力もあるし、それまで12年間公務員をやってきていましたから経験もそれなりにはあります。名誉職として帰ってくるんじゃなくて、自分の体が一番動く時に市長になる、そして、故郷に帰ってまちづくりを通じた恩返しをするというのはいい選択肢だと思いました。これが人生の最大の転機となりました。

勝つなんて思っていなかった

僕の場合は現職と戦う対抗馬でした。無投票だからと思って出たら現職が出ることに(笑)。だからまさか勝つなんて思ってなかったのです。今だったら対立候補が結構勝ちますが、僕が出たのは3年前で、その頃は対抗馬が全国的に見てもかなりの確率で負けていました。今は現職不利なのですが、当時はやはり現職神話というのが健在でした。だからとても無理だと思っていたんです。

負けても、まだ若いからまた次にやろうと考えていて、市長になって何をやろうという展望も正直言って明確にはありませんでした。公約としては勿論いろいろ考えていましたが、あまり現実感を伴っていませんでした。対抗馬というのはそういうものでしょうね。でもふたを開けてみたら、ダブルスコアで勝ってしまって、これは正直困ったぞと思いましたね。

それで、市長になって具体的に何しようかと考えていたときに早稲田大学の講演に呼ばれました。そしてその時に「君たちはタケオ(武雄)って知ってるか」と100人ぐらいの人に聞きました。でも1人しか知りませんでした。その1人にそれはどこだって聞いたら、「お父さんがカンボジアにいたのでよく知ってます」と答えました。その人の言うタケオはカンボジアのタケオ(Takeo:カンボジア南部中央の町)のことだったのです。

これでは駄目だと思いました。とにかく僕の最初の仕事は知名度を上げることだと思いました。何故東大生がちやほやされるかと言うと、それは知られているからなんですね。それは街も同様で、知られないと街は元気にならないのです。だから僕の仕事は自分の力を活用して、まず、街の知名度を上げることだと思ったのです。そうすればみんな元気になるだろうと。そこに舞い込んできたのが「佐賀のがばいばあちゃん」のドラマの話です。それ以来ずっと知名度を上げるためのいろいろな取り組みを重ねてきました。特産品化を目指してレモングラス(レモンの香りがするハーブの一種)を作ったり、いのしし課を作ったりしました。gripする、掴むってことですよね。そりゃ何でもかんでもgripしたら話にならないから、いけそうなものだけを選んで掴むってことですよね。

僕はそんなに頭や性格がいいわけでもないですが、僕は掴む、何かいけそうなことを掴むという能力だけはたぶんあるのでしょうね。それは自信がありますね。大抵当たりますから。ある意味僕は「目利き」かもしれません。最近では、いけそうなものといけそうにないものはすぐに判ります。

だからかもしれませんが、全国からいろいろ取材や視察が来ます。それにあまり嬉しいことではないのですが、「こういう新製品を作ったんだけど、どうなのか」というメールが日本のいろいろなところから、それこそ、武雄市とは全然関係のない人からも来ます。聞かれた以上は「これはこうすればいいんじゃないでしょうか」や「これは駄目なんじゃないでしょうか」とか言いますけどね。

樋渡啓祐さん

僕は一般的に言われている市長のイメージを変えようと思いました。市長のイメージってあまりないでしょう? 何か偉そうで、地味とかその程度でしょう? それを根本から変えようと思いました。とにかく今までの市長と逆のことをやろうと心がけています。例えば、様々な案件で最後に判断するのが普通の市長なのですが、僕の場合は最初に動きます。それで流れを作って、残る細かいところは職員の皆さんにお任せしますというやり方です。この前やった、議会の様子をYoutubeで流すという企画もそうです。僕が最初にバーンと言ってあとはお任せという完全なトップダウンなのです。これが悪いと言う人もいますけれど。

普通の市長より20年は早く市長になってますから、僕には経験はない反面、しがらみもないのです。そういった「ない」ということのメリットを生かそうと思いました。普通は「ある」ということがメリットですよね。でも僕の「ない」ことのメリットは何かなと考えた時に、勢いとか勘とか直感とかそういうのを生かそうと思いました。それが自分の持ち味だと考えるようにしました。足りないのは、周りの職員の皆さんや市民の皆さんに聞いて補えばいいと思っています。

市長になって良かったこと悪かったこと

市長になってから良かったことは普通会えないような人に会えたことです。例えば、特にドラマのロケを呼んできたから、「1リットルの涙」など数々の傑作ドラマを手掛けている共同テレビの江森浩子プロデューサー、「古畑任三郎」を演出した河野圭太さんや、女優の石田ゆり子さんとか原沙知絵さんとかに会えました。

そういう人たちに会えたのは市長という肩書きあってのことでしょう。個人だったら全然会ってもらえないはずです。それもこんな小さな市の市長なのですが、知っている人は知っていますね。「ああ、あの変わった人ね」などと。しかしいろいろな活動をやっているだけでもやはり会えません。肩書きあってのことです。そこは僕も謙虚にならなきゃいけません。しかもこの肩書きは僕一人の努力じゃどうにもならないものですしね。有権者が選んでくれての肩書きですから。そういう意味でも、やはり肩書きを与えて下さった有権者の方には感謝しています。市長という肩書きがあって、かついろいろな活動をしているから「ああ、あの人ね」と覚えてもらえている。これは良かったです。

それと市長になってから、頼られるという快感を覚えました。学生時代には全く感じないどころか頼られるというのは面倒な印象でした。公務員時代も駆け出しだったというのもあってほとんど感じませんでした。弱い立場にいる市民の皆さんとか、身体的に弱い立場の市民の皆さんから「市長さん頼りにしています」と言われると嬉しいですね。快感という言葉に置き換えてみると、今年40になりますが、僕が今まで感じた中で、一番ワクワクドキドキしますよね。頼られるという快感は今まで僕は気付きもしなかった快感です。勿論おいしいものを食べるというのも快感でしょうし、親しい人と話すというのも快感かもしれませんし、お金を稼いだり、休むというのも快感かもしれませんが、その中で頼られるというのは、結果できないこともあるのですが何とかして応えようと思います。そういうのは今の立場になって気付いたことです。

逆に市長になって悪かったことというのはあまりありませんね。飛行機で口を開けて寝れなくなったぐらいかな(笑)。特に去年は病院問題(※樋渡市長は市立病院の大規模民間移譲を行った。プロフィール参照)で結構テレビに出演しました。自分がザ・ノンフィクションというテレビ番組で取り上げられたというのもあって、飛行機の中でやはり少し困りますよね。

最初すごく嫌だったのはいろんな人から声をかけられることです。もともと公務員だったからはじめはこれが嫌だったんです。今はやはり楽しいです。逆に声をかけられないと不安になりますよね。「おれ大丈夫か」と。すごく倒錯した世界になっています。

僕は普通の公務員と違って勤務時間がありません。やる時は24時間やりますが気が乗らない時はやらなくて良いし、それは自由裁量ですもんね。市長というのは政治家だから勤務時間がないのです。それは良いですね。自分の好きなようにできるから。その分責任はあるけれども、僕には責任よりも自由が魅力的です。自分である程度コントロールができる点が魅力的です。サラリーマンは自由がないと思います。それに比べると今は個人商店のおっちゃんみたいなものです。しかも4年に1回選挙だから、そこでリフレッシュできますしね。どういうふうに評価されるのだろうと。

選挙が好き

樋渡啓祐さん

それに僕は選挙そのものが好きです。選挙の時はみんなの関心が集まって、いろんなことを教えてもらいます。武雄市の投票率は83%ありますから、街全体が盛り上がります。そしてその御輿に自分が乗っているのです。「おわぁ」となります。楽しいです。そして御輿の上に乗っているから見える光景というのはありますよ。僕もいろんな人の応援に行きますが、そういう御輿を担いでいる時とは違う光景が見えるのです。

なおかつ、ある意味戦争なのです。勝ち負けははっきりしますし。そこには友情もあれば裏切りもあるし、人間ドラマそのものなのです。だから今度 NHKで「再生の町」という市長を題材にした番組があるのですが、僕もまた、取材を受けました。選挙は歩くこと。いのしし課を作るときも歩きながら田んぼを見ていたわけです。そしたら田んぼが荒れ果てていました。そこで道路をつくるよりもいのしし対策だと思いましたね。歩いて戸別訪問をすれば、独居老人が本当に増えているのが見えるんです。それで「あ、これは病床の削減はありえない」と思いました。

これからについて

最初は3期12年で辞めようと思っていたのですが、思った以上にやはり面白いですね。僕は、市長と言うのは腰掛で国会議員や知事を目指すとか何とか言われていますが、やはり今のポジションが最高に面白く、楽しいし、やりがいもあります。だからこのまま続けようと思っていますが、それが12年になるのかもう少し長くなるのかは判りません。

偉そうなこと言うけど、今、人のために市のためにやっているという意識が強烈にあります。学生時代は自分のためにやっているという感じでした。バイトも多い時は月100万ぐらい稼いでいました。しかし、今は少なくない給料は頂いていますが、自分のためにやっているというのは0割ですね。その認識が間違っているかもしれませんが、武雄市のためにやっている気持です。そのことを妻とも話していたのですが、そこで妻が言ったのが、「1%でも自分のためにやっていると思うようになったら、あなたが辞めるときだ」ということです。なるほどなと思いましたね。

だからこの仕事は自分のためにと思うのだったらやめた方が良いですね。24時間365日休みはないでしょ。褒められることなんて100回に1回あるかないかですしね。挙句の果てには怪文書流されたり、リコールされるし……(※プロフィール参照)。それでも何でやれるかというと、楽しいからですね。

原体験の大切さ

話は少し戻りますが、僕が関西大学の誘致に成功したり、最年少市長になったり、全国初の市立病院の大規模民間移譲をできたりしたのもその原体験はやはりNHKの集金バイトです。NHKの集金バイトで掴むことの大切さも覚えましたし、ビジネスの要諦も学びましたし、みんなで行う達成感も味わいました。その達成感が次にまた人のためにやろうっていう気にさせてくれますね。その充実感を味わう。今までそれを探す旅だったかもしれませんね。だから原体験は本当に大事ですよね。

東大生に言いたいこと

東大生に言いたいのはあまりものを考えるなって、本読むなっていうことです。エネルギーをためるんじゃなくって外に向かって飛び出せってことですね。僕らが羨ましいのはその若さなんです。だって寝なくてもいいですから。だから世界がキャンパスだと思いますよ。勿論僕も今本を1日に1冊くらいは読みますから、エネルギーを蓄えることは否定しないけれども、外に向かって飛び出すっていうことは、仕事や家庭がある僕らには物理的に不可能です。

だから学生時代に旅をするのは大切なことですよね。それに大学時代というのは僕に言わせると全方位、興味や関心が向いているときです。今は仕事というフィルタを通してしか見ることができません。でも大学時代は損得なしに様々な角度からものごとを見ることができます。モラトリアムですから。その時に 1個でも2個でも何を掴むかが大事だと思います。だから立ち止まることがもったいない。反省なんかしないで、とにかく動いてほしい。そうすればその分チャンスとの接点が増えるわけですから。

プロフィール

樋渡 啓祐(ひわたし・けいすけ)

1969年生まれ。佐賀県武雄市朝日町出身。1993年東京大学経済学部卒業。同年総務庁(現総務省)入庁。2005年総務省退職。2006年武雄市長に就任。2007年より関西大学客員教授。市立病院の民間移譲を行い、それに反対する市民グループや医師会のリコールを受け、2008年に辞職し、市長選に出馬当選。主著『「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論』。

リンク

佐賀県武雄市公式ホームページ http://www.city.takeo.lg.jp/

ブログ「武雄市長物語」 http://hiwa1118.exblog.jp/

(編集:東京大学UTLife)

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