東大な人:櫻井圭記さん

2018.03.27 インタビュー Facebook Twitter Line

攻殻機動隊シリーズや、ヱヴァンゲリヲン新劇場版。いろんなところで話題に上がるこれらのアニメのスタッフロールにも、実は東大卒の人物の名前がある。

脚本家として活躍なさっている櫻井圭記さんだ。今回は大学時代のお話や、今のお仕事に進まれた経緯などを伺った。

日本を勘違いしていた小中時代

櫻井圭記さん

小学生のころはロンドンに住んでいて、中学の時日本に戻りました。そのため、日本について間違った知識を植え付けられていました。例えば、「日本男児たる者は女性に一途な思いを伝える時に、和歌を贈るもの」だと思っていたんです(笑)。だから必死に古文や和歌の勉強をして、いつも電車で見かける女の子に和歌を贈ったりしていました。でも、いくら待っても全然返歌がこない。「OKでもNGでも返歌はあるんじゃないか」と思い悩んでいたんですが、友達に「お前ばかじゃないの?」とか言われたりして。純情な高校生だったので痛く傷ついたけど、ほんとに傷ついたのは相手の女の子ですよね。さぞ気持ち悪かっただろうなと今では申し訳なく思っています。あとは、漢詩を作るのに凝っていました。本屋さんで平仄(ひょうそく:漢詩などの韻律に関する規則)が載っている漢和辞典を探したり。なんだかんだで、このころに身につけた古文とか漢文の知識は後々役に立つことが多いですね。

東大生は「勉強してたんですか」と聞かれることがよくあると思うんですが、僕の場合はどう答えればいいのか分からないんですね。僕は、受験勉強ではなかったですが勉強は先述のように結構していました。でも、模試の成績は悪かったです。合格判定は一番いいときでC判定、いつもはE判定でした。ただ海外の生活が長かったので、英語だけは得意科目でした。模試でかろうじて英語で全国一位をとったこともあるんですが、やっぱり他の科目が足を引っ張って合計ではランク外でした。実際の入試では、現役で受かったのが奇跡ですね。きっと採点ミスに違いないです(笑)。

消去法で選んだ東大

櫻井圭記さん

特に東大を目指していたわけではなく、勉強は得意というわけではありませんでした。成績は、ましだった国数英に比べ理科と社会が壊滅的にできませんでした。どれくらいかと言うと、確か高三の夏までずっと偏差値40くらいでした。しょうがなく秋から勉強したけれど、時間が限られていて結局間に合わなくて、成績も上がらない。文系の私大だと入試科目に社会が必ず入ってしまうから、他の受験生に太刀打ちできない私大は諦めようと思いました。そうすると、地歴が論述式の東大か京大しか残ってなかったんです。「これなら自分でも同じレベルで戦えるから何とかなるな」と思い、東大を受けることにしました。

東大の中でも、文二を選んだのはマルクスを尊敬していたからです。また、マルクス経済や経済原論が必修であるという、時代錯誤感あふれる科目設定にも魅力を感じました。マルクスは、「世界のすべての仕組みを俺の手一本で記述してやる!」っていうような気概に溢れているんですよね。気分が凹んだ時にはよく読み返して、「本気だな」と勇気をもらいます。卒論もマルクスの資本論の価値形態論をベースにして、江戸時代の米本位制経済を読み解いていく、というものでした。今読み返せば駄作だけど、すごく気合を入れて書きましたね。

大学時代

櫻井圭記さん

大学に入ったら、サークルはひとつだけ入りたいと思っていました。それまでずっと小中高とサッカー部だったので、またサッカーをやりたいなとも思っていましたが、違うことをやってもいいかなとも考えていました。中学からバイオリンもやっていたのでオーケストラ部に入ろうかとも思ったのですが、億劫になってしまって。最終的には美人の先輩がいるという不毛な理由で狂言研究会に入りました(笑)。イギリスで暮らしていたこともあって、もともと「和」というものに対する興味はありました。狂言研究会は週に2回くらい稽古があって、割と熱心に活動していました。当時は廃部寸前で、入った時に3人しかいなかったので、可愛がられましたね。あまり出来のいい後輩でなくて先輩方には迷惑をかけていたけれど、4年間楽しかったです。実演するサークルで、師匠野村万之介先生に師事して、毎回稽古していました。

地味に勉強もしていましたね。成績はお世辞にもいいとは言えなかったんですが。当時金曜5限にあった「地域文化論」という授業が印象に残っています。ナショナリズムに関する授業だったのにオウム真理教のことばかり話していたのですが、これがうんざりするくらい面白かったです。それで、授業を担当していた教授の本を試しに買って読んでみたら、綺麗さっぱり分からない。とても悔しかったです。講義はわかるのに本が分からないっていうのは、講義では学生に合わせてレベルを下げているということだから。悔しかったので、苦行のように読み進めました。『性愛と資本主義』という題名の本だったのですが、想像とは全く違う内容でしたね(笑)。読み進めていくうちにだんだん内容も分かってきて、その本の出典となった本や、引用されている文献をかたっぱしから読んでいきました。そうして現代思想とか社会学の本を乱読して、通説とは違うけれど、自分の読み方が本質的じゃないかという「俺説」を書き込んでいました。今読み返しても、「めちゃくちゃだけど意外と本質的じゃないか」と思ったりして、これが後々脚本を書く際にも参考になっているところは大きいです。また、社会学や現代思想では映画をたくさん見なくてはいけないのではないかと思い、レンタルビデオなどを含め週に10本くらい見ていました。そして見た後に、苦行のように感想や思ったことを書くようにしていました。アニメは、子供のころはあまり見てなかったですね。だから、大学生になってから全部見直しました。子供のころ影響を受けたのは、「風の谷のナウシカ」と「機動警察パトレイバー」。たまに流れていると先のセリフが自然と出てくるくらい、何回も見直してましたね。

長期の休みを利用して海外旅行にも一ヶ月くらいよく行きました。アメリカ、中国、インド、タイ、ベトナムとか。 行き先も宿も決めずに、放浪してましたね。こういう旅を「自分探しか」と馬鹿にする人もいるかもしれないけれど、貴重な経験がたくさんできるいい機会だと思います。人間の根源的な優しさに触れた時も、こっぴどく騙された時もありました。あと、ダイエットに旅行を勧めたいですね(笑)。自分は旅行するたびに3食おやつつきでも5キロずつ痩せていきました。

「脚本家」という職業

櫻井圭記さん

劇場版やTVアニメ、実写ドラマの脚本に加え、ノベライズや漫画原作などといった、ストーリーを考えるのが主な仕事です。脚本というのはト書きとセリフで構成されているんですね。実際にひとつのシーンを書く時は、ばーっと無意識に頭の中でそのシーンをシミュレーションします。ひとりごとみたいな感じで、女言葉になったり身振り・表情も使います。周りに気持ち悪いって言われるくらい(笑)。そうやってやりたいシーンとかやりたいセリフをシミュレーションしながら書き留めた後、オチやつかみを考えて、間を埋めていく感じです。展開としてはあまり重要じゃなくても、なるべくおもしろくなるように埋めていく、というのが大切ですね。ひとまず分量を多めに書いていって、全部通して書き終わったら何度も読み直しながら削っていきます。また、週一回の打ち合わせがあります。先方に書いたものを持っていって、そこで前後の話とのつながりや「こういうことをやりたい」というのを話して、それをまた持って帰って次の打ち合わせまでに書いてくる、ということをします。このような作品を3~4本くらい掛け持ちしていて、それぞれの打ち合わせをこなしていきます。会社でも書きますが、家で書くことも多いですね。あとはファミレスで書くのも好きです。仕事に詰まった時とかは、何度も見た映画を仲の良い友人としゃべりながら見るのが一番ですね。カット割りやセリフまわしについて話しているとアイデアが降りてくることがあります。この時メモすることが意外といろんな解決の糸口になっている気がします。

いろいろな人に恵まれて

櫻井圭記さん

本当は、この仕事に入ろうとは思っていませんでした。24才くらいまでは、大学に残って研究者になろうと思っていました。ただ、大学院で新領域創成科学研究科に所属していた時の指導教官が今のプロダクションIGの石川社長と知り合いで、また自分もメディアに関する論文で攻殻機動隊を引用したりしていました。「攻殻機動隊が好きなら、新しい攻殻シリーズを作るから見学に来てみない?」と石川社長に言われて、当時はまだ企画段階だったのですが見学にお邪魔しました。実は会社サイドも迷惑だなと思っていたんじゃないでしょうか。1~2時間くらいスタッフといろいろお話をした後、「来週はどうするの?」と言われたので「じゃあ伺います」と。最初のうちは億劫だったけれど、想像をすることが大好きだったので、設定についてストーリーやプロットを考えるのが楽しかったですね。

そうするうちにあっという間に半年が経ってしまい、そろそろ修士論文などがあったので「ここが潮時だな」と思って辞めることにしました。それまで交通費も自腹な上、学生だったために無給だったので、それまでの労をねぎらっていただけたのか、「一話だけ脚本を書かせてあげる」ということになり、見よう見まねで書きました。するとその脚本を監督が気に入ってくれて、「留年覚悟でローテーションに入って書いてみたら?」とお誘いをもらいました。当時博士課程のことも考えていて迷ったのですが、これは今じゃなきゃ出来ないなと思ってこっちに集中することにしました。26話のうち8話分を書いて、更にそれが終わるころにはシリーズ2期制作の話も来ていて、このまま中途半端でいるのも悪いと思い、「修士で院はやめよう」と決めました。それで、社長に「入社したい」と話したら「今日中にPCと机用意しておいて。明日から来れるんだろ?」と言われました(笑)。当時修士論文の締切が間近で口頭試問もあったのですが、やけくそだと思って入ることにしました。給料も雇用条件も知らなかったんですけど(笑)。入社したころは言動が奥ゆかしくて分からなかったけど、社長は僕のことを信じてパスを出してくれたので、「いつか恩返ししないと」と思っていますね。

最終的には、修士論文もぼろぼろだったものの優をとることができました。新領域の先生は、論文の内容は専門外だったのでよく分かっていなかったのかもしれないと思っています。一昨年熱血な編集者の方と会って、「この論文を死ぬ気で書き直して、本として出版しよう」と言ってもらえる機会があって、出してもらいました。もともと大した論文ではなかったですが、持てる力は全部出したと思うので悔いは残っていないですね。このように、社長や監督、編集者の人などいろんな人に恵まれて頑張ってこられたかな、と今でも感謝しています。

好きなことを全力で

後に役に立つか立たないかを考えずに、興味があることをひたすらやっていましたね。ニーチェが好きなんですが、彼は独特の傲慢さと狂気のギリギリ感がいいんです。「これ楽しいぜ」ってほうが頑張れる気がします。何が役に立つかというのは、やっているときには絶対分からないし、役に立たないことなんてないんじゃないでしょうか。「好きだったからしょうがないよね」って言えるし、好きだから頑張れるんだと思います。すべては「喜んでもらいたい」という思いですね。

プロフィール

櫻井 圭記 (さくらい・よしき)

1977年生まれ。栃木県佐野市出身。幼少期をイギリスのロンドンで過ごす。大学院卒業と共にアニメーション制作会社のプロダクションI.Gに入社。以後、脚本を手がける。代表作は『攻殻機動隊S.A.C.』シリーズ、『お伽草子』、『xxxHoLic』シリーズ、『精霊の守り人』、『RD潜脳調査室』など。現在、月刊「ヤングマガジン」にて漫画『タチコマなヒビ』を連載中。2010年10月に劇場作品『RED LINE』が公開予定。

(編集:東京大学UTLife)

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