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単純な真理、複雑な現実

突然ですが、みなさんは単純なものと複雑なもの、どちらに美しさを感じますか?学術的に美しいとされるものは、一般化されたシンプルなものですよね。なので、頭が良いと言われるのも、連想力や発想力を働かせるために物事の抽象的な部分を捉えて単純化できるような人だったりすることが多いかもしれませんね。「世の中に存在する物事は、必ずや“美しい”真理で説明することができる」という考え方は、いつの時代も人間社会に存在しましたし、社会だけでなく科学をも前に進める駆動力になってきたのも事実です。しかし、そのように真理はシンプルかもしれませんが、現実はもっと複雑なのです。

神は詳細に宿る

今回みなさんにご紹介するのは、東京大学の名誉教授である養老孟司先生の新著『神は詳細に宿る』です。養老先生は、名誉教授となる以前は東京大学医学部の解剖学教室で教授を務めていました。

“神は詳細に宿る”。この言葉は、自然の詳細に驚き、そこに創造主の存在を感じるという意味だといいます。養老先生は、昆虫の採集や標本作製を嗜んでいますが、昆虫の観察をしている際に、そのような0と1の二元論的世界観では表せないような詳細を感じるそうです。「この虫の特徴はこれだ」と一般化しても、必ず例外が出てくる。そして、持っている標本が増えれば増えるほど、チェックしなければならない項目が増えていく。現実とは詳細を調べているうちに一生が過ぎてしまうものであり、面倒臭いとは思う反面、それが面白いと、先生は考えているそうです。

ほかにも本書には、後述するような、ヒトと他の動物の詳細に対する姿勢の違いや、そこからくる私たちの漫然とした不安にも触れらているので、まとめてご紹介します!

“同じ”を感じるヒト

そもそも、ヒトとその他の動物を隔てている大きな違いは、“同じ”と考えられることにあります。ヒトを含め動物が世界と触れる際、感覚と意識の2種類の触れ方があります。目や耳などの感覚器から入ってきた情報をそのまま処理するのか、頭の中の意識によって再構築するのかという違いです。ヒト以外の動物は、感覚依存であり、感覚的に捉えた複雑な世界をそのまま具体的に知覚します。見聞きした物事をそのままに捉えるので、自明に絶対音感のような能力を持ち、その反面、同じ言葉でも音程が違えば違う情報として受け取ります。一方で、ヒトは感覚よりも意識が発達しています。人間は、ある切り口で一般化できるものを、単純化して同一視し、言葉を与えます。誰が言った言葉でも、どんなに音程が異なっていても、同じ言葉であればそれを理解することができます。その反面、音程が違っていても同じものだと思うことができるため、絶対音感が特別なこととなり音痴な個体も存在するのです。

レヴィ=ストロースは「人類社会は交換から始まる」と言いました。交換というのは、物事を同じと捉えることができるからできる行為ですよね。人間はこのように、“同じ”にすることで、効率的・経済的・合理的であることを志向して進歩してきました。

不安定な意識

意識をもって世界に触れることで、ヒトは繁栄してきました。しかし、科学におけるタブーであるように意識自体は未だ未解明であり、さらに不安定です。麻酔や睡眠などによって人間が意識を失うことはわかっていますが、社会や科学の基盤となっている人間の意識が何者なのか、ほとんど何も分かっていません。科学は人間の意識により行われるため、その自己言及のパラドックスにより、科学的に意識を解き明かすことは困難でありタブーなのです。誰かが感覚的に捉えた世界を一般化して言葉にし、それを元にして社会的なイデオロギーが生まれるため、その支配関係が変化することでパラダイム全体がシフトすることもあります。科学においても同様で、観察された現実を意識の中で一般化して弁証や解析を行なっているため、前提となるような概念に新しい発見が起こる際、過去にされてきた発見がたくさんの詳細な現実を零してきたと判明するなんてことはよくあります。これらは、人類全体で考えれば、ある種健全な過程だと考えることは出来るのですが、人間は一人一人異なるので、このような二者択一的な過程で必ずしも個々人は幸福になることができません。

感覚的に見る詳細

養老先生は、昨日も明日も変わらない詳細に対する安心感を求めて解剖学を志したそうです。

「解剖は、ホルマリンで固定して、アルコールを入れて、変化しないよう、腐らないようにしてある遺体を教科書の手順通りに進めていきます。その日の分が終わったら、布で乾かないようにくるみ、そして家に帰り、また次の日に行って開けてみる。そうすると昨日私が終わったところ、やったところまできちんと終わっていて、いっさい変化がありません。夜の間に治ったという人は一人もいない。結局、気持ちが落ち着くというのはそこだということに最後に気がつきました。目も前にあるものすべて私がやったことです。他の誰のせいでもない。それはすごく安心でした。」(本書46ページ)

養老先生は、小学生の頃、第二次世界大戦終戦を経験しました。一億玉砕や本土決戦などと言っていたのが、戦後突然に、平和憲法やマッカーサー万歳に変わったそうです。社会というものが大きく変わり、人々の価値観が過度に変動したとき、何が変わらずに信用できるのか探したのだそうです。その際に、一般化され生まれた言葉を信じない傾向が生まれ、意識を過信せずに“詳細”に目を向け、一日一日を積み重ねるようになったそうです。

とは言え、みなさんは意識をもってして社会や科学を前進させる存在だと思います。なので、仕事とは別に、みなさん自身の好きな物事に対し、感覚を研ぎ澄ませて確固たる詳細を具に見つめ、現代の劇的に変わりゆく世の中でも安心して生きていけるような多様な美しさを探してみてはいかがでしょうか。


養老孟司『神は詳細に宿る』(青土社)
2019/01