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御殿下記念館・学生支援センター

三四郎池から山上会館の方向に歩いていくと、ジャージや部活のユニフォームに身を包んだ学生たちが出入りする、一際目立つ建物があります。この御殿下記念館はグラウンド・プール・ジムナジアム・トレーニング室などを備えた総合体育施設で、本学の学生や教職員なら格安料金で使用できます。またヨガやピラティスなど、経験豊富なインストラクターによる運動プログラムも定期的に開催されています。

そして総合体育施設の他にも、奨学金や学生寮入居を申請したりアルバイトの紹介を受けたりするための奨学厚生課や、会議室や部室の鍵を管理する学生支援課などがあり、案外お世話になる機会の多い建物です。

リンク:東大の教育・研究サポート~御殿下記念館の紹介~


七徳堂

七徳堂は、御殿下グラウンド南隣の高台にある純日本式御殿作りの武道場です。「内田ゴシック」で知られる内田祥三の設計で1938年に竣工、現在では都選定歴史的建造物となっています。名称の由来は、中国古典『春秋左氏伝』の「武有七徳」であり、東京帝国大学教授・塩谷温(しおのや・おん)により命名されました。柔道・剣道・空手など運動会(一般に言うところの体育会)の武道系団体が練習しており、夕方の道場は部員の活気であふれています。


弓道場

総合図書館と三四郎池の間の道を歩いていると、ふと茂みの中に厳つい建物が現れます。これは、1935年(昭和10年)に完成し、戦後に矢内原忠雄総長(当時)によって「育徳堂」と命名された弓道場なのです。中をよく見てみると、かつての弓術部員が弓を構えた格好の白黒写真が飾られていたりして、この弓道場の、そして弓術部の歴史の重みを感じさせます。

三四郎池を囲む緑地の畔にひっそりとたたずむ弓道場の完成は1935年。設計は東大の多くの建造物に関わり「内田ゴシック」で知られる内田祥三です。戦後に矢内原忠雄総長(当時)によって「育徳堂」と命名されました。三四郎池の正式名称が「育徳園心字池」であり、その周辺には現在でも「育徳園」という名が残っているので、それと関連して命名されたのかもしれません。中をのぞくと弓を構えた学生の白黒写真が飾られており、この弓道場と弓術部の歴史の重みを感じさせます。

現在の弓道場ができる前の1902年から弓道場は三四郎池のそばにありました。三四郎池のそばに弓道場が完成した1902年から1917年まで弓術部の師範を務めていたのが本多利實という人物です。本多利實は1889年に『弓道保存教授及演説主意』を著して幕末以降廃れつつあった弓道の再興に取り組んだ後、1892年に一高の弓術教授に就任しました。1935年に完成し現在まで使用されている育徳堂は、三四郎池のそばの弓道場としては2代目と言えます。

また、駒場キャンパスにも弓道場があります。こちらはラグビー場と第一グラウンドの間に生垣に覆われて位置していて、完成は1987年です。駒場キャンパスの弓道場は2代目で、それは完成当時から「浩年堂」という名前です。なお、駒場の初代弓道場は1955年からありました。

弓術部は普段は駒場の浩年堂で練習していますが、本郷キャンパスに通う部員は本郷の育徳堂も使用しています。

(参考 東京大学運動会弓術部:http://www.kyujyutubu.com/


(編集:東京大学UTLife)