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「個性」や「自己実現」という言葉が飛び交う、現代。ただでさえ不安定な存在である学生は、何に向かっていけばよいかますます分からなくなっている。今回は、僧侶として活躍されている小池龍之介さんと松本圭介さんに、ご自身の大学時代を振り返りながら、今の学生に向けてメッセージをいただいた。

2人の大学時代

小池さん×松本さん

(写真左・松本圭介さん) 東大を目指したきっかけは、一応日本で一番の大学ということと東京にあるということですかね。出身は北海道ですけど、ずっと北海道にいてもなっていう感じもあったし。あとはその当時哲学・思想の本を読んで興味を持ったので、東大には哲学の方面もあるということで東大にしました。

(写真右・小池龍之介さん) 私の場合は青少年の頃の青臭い衝動のようなものでして、太宰治に惹かれていた頃があったんですが、彼が東大の文学部仏文学科だったんですね。ちょうど文学部に太宰を研究している安藤宏先生という方がいたこともあり、まあ文学部に行こうかなと思って。そういう動機です。

(松本) でもその割にはドイツ語を選択したんだね。

(小池) そうですね(笑)。合格してすぐに東京に来て、駒場寮(編注:2001年まで駒場キャンパスに存在した学内寮。跡地には現在コミュニケーションプラザ等がある)という反体制学生みたいな人たちが牙城にしていた寮に入ったんですが、そこの反体制の雰囲気に非常に魅了されましてね。それでドイツ語をやってマルクスを学んで革命を起こそうと思い始めてしまって(笑)。太宰からはそのうち離れてしまったし、結局文学部にも進学しませんでした。

(松本) 僕は入る時に第二外国語を選ばなきゃいけないっていうのがいきなりあったんで、哲学だからドイツ語かなってなんとなく選んだら、たまたま小池くんと同じクラスになったということなんですよね。

(小池) というような具合ですね、東大に入った理由というのは。

(松本) そんなに大きな決心をしたっていうほどではないと思いますけども。

(小池) と申しますのは、たかだか高校生の時に大学を選択するというのは人生の一大決心という感じではないんですよね。なんとなくそうするといいかなと思っている程度だった気がします。初発の動機として持っていることをそのまま貫くわけでもないですし。私も結局のところは外れていきました。

学問よりも

小池さん

(小池) 入学当初はちょっと真面目に勉強していた頃がありましたね。そのうち私の場合は、駒場寮の活動と申しますか、政治的な活動や駒場寮を潰さないでほしいというアピール活動に参加することが多くなっていって、あんまり勉強はしなくなりましたね。

(松本) 僕は小池くんとは逆に体制的な政治の方を覗いていました。その辺の違いがたぶん今にも通じると思うんだけど。僕は大学で学ぶことをそのままその後の社会人生活に反映させなくてもいいと思っていたので、その時興味のある学問分野に進めばいいかなと。研究者になるとかはまったく考えてなかったので、それはそれとしてやがて卒業して就職しなきゃいけないからいろんな分野を見たいなと思って、IT系の企業でバイトしてみたり、友達とイベントをやってみたりしました。あとは最後に政治を見てみたいなと思って、衆議院議員の事務所でウェブの仕事をしてました。だからあんまり勉強は頑張ってなかったですね。研究したいというよりは本とかを読んで面白いなと思ってた程度だったんで、その興味はかえって学問的には膨らまなかったということです。だからどこの学部・学科に進学しようかっていうことはあるのかもしれないけれど、そのために頑張らなければっていうのはそんなになかったですね。

(小池) そういうのはなかったですね。私が進学先を選んだ理由は教授がちょっと関わっていて、自分の指導教官になってくださるはずだった方の人柄に惹かれたというのが大きかったですね。教官と相性がいいというのは進学先を選ぶ時にとても大きいような気がします。私は社会哲学のようなことを専攻領域にしたんですけど、正直言ってその先生からは哲学の方法論をたぶん何一つと言っていいほど学べませんでしたね(笑)。ただやりとりをしていてとても面白いなと思える方でした。どの学科に行こうかっていうのはいろいろ迷っていて、ただマルクスを学ぼうという方向性自体はほとんど変わっていなかったので、そういったことを学ぶのに駒場の文系の学問分野のなかでどこが適切かなっていうのをいくつか調べて回っていた時に、たまたまその学科の研究室に入ったらすごくアットホームな雰囲気で居心地がよくて、教授も言葉遣いみたいなのがすごく「ここに来たら楽しそうだな」って思わせるような感じでしたのでそこになったような、そんな具合でしたね。

(松本) 文学部の哲学専修ってあんまり点数が高くなかったような気がするんですよ。それにもともと大学に入る時点から哲学って思ってたんでそんなに考えることもなく。もはやどこでもよかったんじゃないですかね(笑)。どうせだったら少し興味のあるところがいいなぐらいの心境に来てたんだと思います。もうその頃には大学を出てからのことを考えてたのかもしれないですね。だからあんまり進学については意識してなかったような気がします。

(小池) 結局学問を学び始めた時点でちょっとがっかりしちゃうんですよね。これで何かが根本的に解決したり、すごいことができそうな感じはしないなっていうのを思ってしまうので、結局松本くんの場合は今おっしゃったような形で決めたでしょうし、私の場合も「ここは居心地がよさそうだな」というような理由で決めちゃうしというような感じですよね。マルクスを読み始める前はそれによって何かができるかもしれないみたいな青臭い心持ちがあるんですが、実際真剣に読み込み始めると「まあこんなもんか」っていうような感覚もありますしね。

(松本) お互い哲学・思想に関係するものだけど、もしかしたら特にそういうのはギャップが大きいのかもしれない。

(小池) 大きいですね。とりわけ自分で読んで考えることと教室で教えられていることの質のギャップがものすごく激しいですね。どんな高名な教授の授業を取ってみても概説的なことしか聴くことができませんから。特に哲学・思想系の学問ジャンルで採られている研究方法というのは、文献のここに何が書いてあってここはこういう意味だというような非常に細かなことを確定していきながら自分の言いたいことを辛うじてちょっと言う、そんな感じのものなんですが、ちょっと言うためにものすごく膨大な、よく言えば緻密な作業をしなければならなくて、その緻密さが膨大な労力を費やしてまで果たしてやる価値があるのかと思わされてしまう側面はある気がしますね。特に京大とかと比べると東大は“緻密さのための緻密さ”みたいな雰囲気になっているようなきらいもありますよね。本郷と駒場でまた若干温度差もあると思うんですが。

仏教で自己実現?

松本さん

(松本) 小池くんとは駒場で同じクラスだったけど、2人ともあんまりクラスに馴染んでなかったのかもしれないね。あともう1人いるんですけど、大体教室の後ろの方に3人くらいで固まって(笑)。ただ、その3人もいつも一緒にいる仲良しグループっていうわけではなくて、時々クラスに出て後ろの方に座ってると顔を合わせるっていう感じだったような気がします。

(小池) そういうわけですから、その頃はことさら親しいという雰囲気でもなかったと思いますね。それがある時期に哲学・思想のことでちょっと仲良くなったんですが、ただもう進学した後の話だったかもしれませんね。何で久しぶりに会ったのか忘れたけれど、確か一緒に古本屋を巡って本を買ったりして。

(松本) 駒場寮に遊びに行ったりね。とはいえ時々の付き合いぐらいで。でまあ、そもそも哲学に興味を持ったのは、祖父が地元でお寺をやっててお坊さんが身近だったからというのもあるのかもしれないですけど、気持ちのどこかにお坊さんをいつかやってみたいなというのがあって、本郷に進学してから印哲(編注:インド哲学仏教学専修課程)の授業とかも取ってみたりしました。さっき言った政治っていうのは国民を幸せにするというのがたぶん一つの重要な役割で、それってすごく大きな仕事であって面白いことだと思ってたから最後に見ておいたんですけど、幸せにするということそのものは政治の世界だけ見ててもなかなか見えてこないものでもあって。ふと自分のルーツのようなものを考えてみた時に、いろいろ見てきたけどやっぱり仏教の教えに何かがあるんじゃないかな、実践的な方法が見出せるんじゃないかなっていう思いがあったんですよね。就職も考えたんですけど、行き着くのはやっぱりお寺のこととか仏教のこととかを最終的にはやりたいなっていう気持ちで、そんな話を小池くんとしていたように思います。小池くんはお寺の長男だから多少の意識はあったかもしれないけど、当時は明確にお坊さんになるんだって思っていたのかな?

(小池) 確か私は当時、仏教や教団の仕組みがものすごく体制的になっていて、一般の人たちに届かない状態のままに旧弊なシステムが出来上がってしまっているので、自分はお坊さんとして活動していってそれを叩き壊すっていうことをよく言っていたと思いますね。そしてある種の宗教革命みたいなものを起こしたいと。もともと既成の仕組みを壊したいという志向が非常に強い人間だったものだからそのようなことを言って、またどういうふうに仏教を体現していって人に伝えたらいいかっていうことを常に言っていたような気もします。そういう意味ではお坊さんになるっていうことはかなり強く意識していたと思います。

(松本) ただ、普通にお寺の長男として後を継いでいわゆる体制のお坊さんになるっていう感じではなかったですよね。いわば小池くんは革命志向で、僕は体制側から物事を変えていくっていう志向があって。でもどっちにせよ何か変えようと思う気持ちはあって、そんなところで僕が刺激をもらうという意味もあって結構そんな話をする友達だったと思うんですね。

(小池) 語り合う多くの時間はたぶん現状の社会のいろんな問題点だとか、その当時私は既に得度をしてお坊さんの世界の内部もいろいろ見てきてうんざりするような側面もたくさんありましたので教団の問題点だとかについてよく話して、何か大きなことをやらなきゃいけないというようなことを話していたと思います。

(松本) たかだか20年の人生で何を見てきたかっていうと限られてるわけですけど、お互いにお寺はそれなりの近しさにあって、仏教が持ってる本来の射程距離の可能性も感じつつも、現状のお寺が抱えている問題っていうのを、自分の場合はお坊さんに属してなかったので外の立場から、小池くんの場合は少なくとも資格上は持っているというところから、変えなければいけないという共通の問題意識が生まれてたのかもしれないですね。

そんな話をしているうちに、そんなに考えるんだったら自分もそっちの仕事に打ち込むかと。僕の場合はまず体制に入って中から変えるというやり方なので(笑)、まずはお坊さんにならないと話が始まらないよねっていうことでお坊さんになることにしました。

(小池) 私の場合、今はもうそういった問題関心はだいぶ失って問題意識がスライドしているんですが、当時は新興宗教にどう向き合えばよいかということが強い問題関心としてありました。伝統仏教が特に若い人に対するアピールを完全に失っている一方で、新興宗教は反対に勢力を伸ばしていて、伝統仏教の人たちは新興宗教のことをいろいろ口で批判をするんですけど、批判は立派ながらある意味では新興宗教の方が頑張ってるわけです。新興宗教が怪しい内容を持ってるにしてもある種の人の救いにはなっている反面で、伝統仏教はその救いの手すら差し伸べることができていないにもかかわらず何か偉そうなことだけ言っているという現状があって、当時の私から見ればどっちもどっちでしたね。ただ、新興宗教にさっと向かってしまうような人たちへのストッパーとして、伝統仏教の力をなんとか復活させたいという意識が強くありました。ですから仏教の形を変えていこうと思う際に当時一番頭の中に強くあったのが、教義を離れて人の話を聴いたり人に接したりする点をクローズアップしなきゃいけないという気持ちでしたね。

(松本) 新興宗教のことは結構話しましたね。ただその宗教に対して自分たちがどこに身を置くのかっていうのは、僕なんかはそれこそ最近やっとなんとなく分かってきたかなっていうぐらいで、当時は問題意識こそあれ自分自身がその中でどうしていけばいいのかっていうのはまだ全然分かっていませんでした。伝統仏教をなんとかしなきゃいけないという問題意識はありつつも、伝統仏教/新興宗教っていう括りにやっぱりなんとなく囚われてましたね。伝統仏教をなんとかするっていう発想か、あるいは全く別のものを新しく生み出していくっていう発想も一つの可能性としてはあったと思うんですけど、その時はそんなことはまだ整理ができてなかったと思いますね。

(小池) 基本的には既にあるものを軸にして問題を批判するような形でどうすればいいのかなっていうことを模索していたんですけれども、今になってみると割と何かしら自分の立っている場所みたいなのが見えてきたので、何か問題点を見つけて文句を言うような必要がなくなってきたところはありますね。伝統仏教にも新興宗教にも問題があるのは事実なんですが、それをことさら取り上げてみて何か言わなきゃいけないという雰囲気ではなくなったような気がします。というのは、自分の能力の点や環境や人との繋がりの点において社会によい影響を与えるであろうと思えることが今では自然にそれなりの形で備わっていて、ただそれをやっていれば結果としてかつて批判していたような問題が何かしらよい形に解決していくんではないかなっていうようなことは、ことさら考えなくてもなんとなく分かっているようなところはあって。結果的に当時考えていたような問題が解決されるような形で動いてはいるんでしょうけれど、今はもうこの問題を解決しなきゃというような力みがなくなっているような気がしますね。

(松本) そうですね、焦りとか力みとかそういうものがあったのかもしれませんね。

(小池) 何か大きなことをしなくちゃみたいなのはあったと思うんですよ。そこにあるのは実は本当に社会をよくしたい、世の中を幸福にしたいという気持ちというより、そういったことを大義名分にして自分自身の何か満たされない欲求みたいなものを爆発させて……。

(松本) 自己実現という。

(小池) そう。おそらく私たちは自分の能力を生かして自己実現しなきゃいけないんだというような社会の圧迫感の中に飲み込まれていて、しかもよりによってそれを仏教で実現しようとしていた自分があったような気がしますね。

(松本) 結構危ない人たちかもしれない(笑)。

(小池) そう、危ない人たちですね。すごく疲れるんですよ。そうやって何か大きなことをしなくちゃいけないとか、自分たちじゃなきゃできないようなことをしなくては生きてる意味がないとかいうメッセージに、知らず知らずのうちに乗せられていたんじゃないかなという気がしますね。

(松本) 確かに当時はそういう自己実現のために爆発させられる方向や可能性っていうのを探していたのかもしれないですね。ただ、これまた仏教のおかげで、当時は「仏教、仏教」と言いながらあまりそれが身にしみて分かってなかったんだけど、最近おかげでちょっと落ち着いて、問題点をいろいろと指摘するのではなくやっと自分のやるべきことが分かって、とりあえずただそれをやればいいんだという感じになれたかなって思うんですよね。

今やるべきことを、ただやる

小池さん

(小池) まだ学生の皆さんは今すぐ道を決めなきゃいけないような局面ではないのでしょうけれど、ただそのうち決めなければならない時がやってきて、その時に初発の動機として自己実現といった社会の煽りのようなものに汚染され(笑)、洗脳されながら選ぶのも致し方ないようなところはあると思うんです。それを克服して非常に強い意志を持って自分のやるべきことをやればいいといった心持ちにいきなりなってくださいと言っても、おそらく多くの人はなれません。

ただ、やり始める時はそういう気持ちに汚染されていたとしても、やってるうちに自分の適性や本当にやるべきことが見つかって、自己実現といった力んだ気持ちが消えていって自分の居場所のようなものが自然に見つかる人と、見つからないままずっと焦りに駆られ続ける人とがたぶんいるんですね。そこで、欧米の大学は入試が簡単で卒業が難しくしてあるということになぞらえて申しますならば、入口は別に邪な変なものから入ってもいいので、やってるうちにがむしゃらになっていただきたいんですね。ごちゃごちゃと頭で考えるから、自分の本当にできることは何で、これをやらなくちゃいけないとか思い込んでしまうので、やり始めたらもうとにかくがむしゃらにいろんなことにチャレンジして、やってるうちに「ただこれをやればいいんだ」というのが見つかるようにしていっていただきたいですね。要は、入口は適当でいいんですけれど、出口までの間に無我夢中になってやっているというような状態に至ることができればよいだろうなあと思いますね。

(松本) 最近だとまた傾向は変わったと思うんですけど、ちょっと前には法学部でも官僚じゃなくて外資・金融が人気だったと聞いています。たぶんそれはまだあまり仕事の内容が分かっていなくて、ただなんとなくかっこいいイメージとか、あとはお金とかが大きいんだと思うんですけど、何に対してがむしゃらにやっていいのか分からないっていう学生も多いんじゃないかな。何に向かっていっていいか分からないけれども、とにかくお金を持ってればいいんだっていう意識はあって、少なくともそれに関して言えばないよりはあった方がいいのは確実だろうから、とりあえずそこに向かってがむしゃらに頑張るしかないのかなって思ってる人も今たぶんものすごく多いと思うんですよね。

(小池) 多い。ただそれが入口でも、その仕事の中には細かな作業がいっぱいあって、その細かな作業を緻密にものすごく洗練して夢中になってやっていたら、そのうち自分の適性だとかこれができてこれができないとか、そういったことが少しずつ分かってきますからね。その中で方向転換が必ず図られるはずなんですよ、本当に真剣に取り組んでいたらですよ。本当に真剣に取り組まずに、やりながら「年収がこれからどうなるかな」とか浮ついたことをいろいろ考えていたら、ずっとそれが続くんでしょうけれどもね。

(松本) 自分の与えられた範囲の中でがむしゃらにやりつつ、たぶんがむしゃらにやるからには自分のやっていることを丁寧に見ていかなきゃいけないっていうことが同時にあると思うんですね。でも最近はキャリアパスっていうことも何かと重視されたりするじゃないですか。今はこれをやっといて次はこっちに移ろうとか。時代の空気を敏感に察知して、何でもいいから美味しそうなほうにぶらさがっておけばいいという。まあ小池くんの本でいえば「正直者は馬鹿を見る」みたいな話にも通じるかもしれないけど、みんなあんまり丁寧な仕事をやっているような感じがしないというか、全然そういうものがよしとされてない感じがするんですよね。みんな怖いんじゃないかな。打ち込んでいたけれどもそれこそ自分が原因ではないいろいろな要因によって一見未来が絶たれたり、はしごを外されたりすることがあるかもしれないから、いつも目の前のことは一生懸命やりつつも気持ち半分は自分が今どこを漂っているのかを見ながら、ちょっとこの先危ないぞっていうのがあったらキャリアパス、世渡りを考えていくとか。がむしゃらに打ち込むっていうのは実は相当に勇気のいることだと思います。

(小池) 結局のところ仮に勤めていた会社が倒産しようと何だろうと、本当にそれまでなすべきことをしっかりやっていて、その中で能力が磨かれていて揺らがない心ができているんだったら、その場で何とでもなりますからね。ただ何とでもなる、職はいくらでも見つかるっていう事実と、見つからないんじゃないかという不安とはまた別の次元で、そう思ってしまうんだったら仕方ないでしょうけれどもね。

学生さんの話に戻すと、今の世の中ほど自分が何をしたら最も適切か分からない人が多い世の中はないんじゃないかなと思うんですね、先ほど松本くんもちらっとおっしゃっていましたけれども。それは裏を返せば適当な仕事ではだめだっていう強迫観念が多くの方にあるからなんですよ。非常に矛盾してるんですが、ある意味転職するのも当然みたいな意識があるにもかかわらず、どこかで自分が一生打ち込めるような理想的な仕事じゃなきゃだめだみたいな強迫観念が多くの人にあるんですね。それはさっき申し上げた自己実現の話ととても強く結び付いているんですが、自分の能力が生かされて、収入もあって、人間関係も素敵で、そしてあわよくばその職場で恋愛なんかもできてっていうふうに、とにかくやたらいろいろ要求して、これとこれとこれとこれを満たせる素晴らしい仕事みたいなのを思い描く。でもそんな仕事はまずないんですよ(笑)。よっぽど能力がない限りそんなところには行き着けないものを、多くの人は学校教育やメディアのシャワーを浴びるなかで、自分もそれぐらいのものを受けるに値するに違いないみたいな思い込みを植え付けられてしまっているために見つからないんですよ(笑)。そうでなければまずは適当なもので始めてみてそれをやりながら模索する、つまりオンザランと申しますか走りながら自己を見極めていくことができるはずなんですが、多くの学生の方は矛盾してるんですが一方でちょっと先までしか見てないのに一方でものすごく先の未来を見渡すんですよ。人生プランみたいなのを描いてしまう。その通りにいくわけがないのに、無意味な数十年後のこととかを考えつつ「これをやらなきゃいけない」みたいな。それを解毒しないとやりたいことなんて一生見つかりません、本当に。

(松本) オンザランっていうのはなるほどなと思いますね。矛盾しているような感じがするかもしれないけど、今やるべきことやできることを一生懸命やることが大事なんですね。ただまあキャリアパスっていう言い方もそうだと思うんですけど、何か乗っかればレールがその先にあると思ってしまうから今のことにも集中できないし、この先レールがもしかしたらどん詰まりかもしれないから次に乗り換えた方がいいのかなっていうのを、いつもどっか半分では考えてなきゃいけないっていう状況になるのかもしれない。でも、小池くんの言うように、やるべきこと、できることをその時その時で一生懸命やっていればちゃんと進んでいけるんだよっていうことが、なかなかすぐには思えないかもしれないですけど考え方として大事だと思うんですよ。レールという見方で見ちゃうと、職業というのがものすごく大きなものに感じられるかもしれないんですけど、それでいくとやっぱりどっか気もそぞろになるし、やるべきことができなくなっちゃうような気がするんですよ。

地に足をつける「修行」

小池さん×松本さん

(松本) 僕らの話に戻ると、大学を卒業してすぐはちょっと一緒に何かをやろうっていう感じの時があったんですね。「お坊さん」という形で一緒に活動しようと思ったけど、それはあまりうまくいかず(笑)。

(小池) 1年ぐらい一緒に活動したんですけど、そのうちお互いの志向が違ってきて、当時は特にそれが鮮明化されたんですよね。私もまだまだ自己実現ドライブみたいなもので動いていましたし、そうやって我が強くなると「自分がやろうとしているのはこれで、君がやろうとしているのはこれで、違う」みたいな感じになりますよね。それで一旦離れた後は随分長い間本当に離れていたような気がしますね。

(松本) (笑)。たぶん志向は違うんだけれども、仏教のことをやるお坊さんというので一緒になって活動しようとしたんだね。でまあ、それぞれイメージがあるわけだから絶対重ならない部分も出てくるんですけど、ただそれが分かってみて初めて何か一緒にできそうだなっていう感じも逆にまた最近しますね。それは自己実現の原因として抱いていた幻想というのがなくなったというか、随分冷静に意識できるようになって、やるべきことやできることがだんだん分かってきてそれに打ち込めるようになったから、今そういうよい感じができているんだと思うんですよね。だから、もはやそれほどお坊さんという仕事の形にこだわっているわけでもないし、やるべきことというのも、たとえば自分の場合は最近子供も生まれたので子育てとかもあるわけです。別に仕事ばっかりが人生じゃないというか、やるべきことがいろいろあるわけですけど、それをその時その時で一生懸命やることが大事だなっていうのは、小池くんと話しててなるほどなと思うんですね。

(小池) 大学を卒業して最初はまだまだ自己実現の衝動の方が強いんですが、真剣になんとか頑張ろうとしている間に、やがてそれは力を失っていってもっと地に足のついたようなものとなっていくわけです。私たちは、お互い違う道を歩くなかでそれぞれが別の形で地に足をつける方法を探り続けた結果、久しぶりにちょっと引きあわされるような感じでお会いしてみたら、それぞれが今いる場所で「今なら前とは全然違ったような形で協力し合えそうだよね」というようなことを、地に足のついた者同士話せるようになった、そんな感じがしますね。

学生さんというのは、私たちが当時全く地に足がついていなかったように、ものすごく浮ついた存在なんだと思います。社会的な位置づけもすごく適当な存在であって、そしてとりわけ実際にやってもないことやできないことであるにもかかわらず頭の中でぐるぐる考える、頭の中で考えるから足に意識はいっていなくて文字通り地に足がついていない。そういった現実から離れて頭の中だけで考えてしまう存在だと思うんですけれども、やがて地に足をつけなければ必ず社会に出た後に破滅がやってきます(笑)。私たちは私たちなりのやり方で数年間かけて地に足をつけようとしてきたわけです。私の場合はとりわけ徹底的な修行を通じて自己が変化したことがとても大きいんですけれども、私のような仏道修行に限ったことではなくて、皆さんがこの後仕事に就くとしたらそれがある意味修行です。自分のやりたくないことやイメージと違うことが必ず出てくるんです。その「嫌だな」というのに流されると辞めたくなるんですが、その辞めたい気持ちが湧き上がってきた時に一回一回それとどう折り合いをつけて乗り越えるかっていうのが、修行としてのある種の自己鍛練なんですね。「嫌だな」というのが頭に浮ついてしまうんですが、そこで「でもやらなきゃいけない」というふうに一回一回戻すことによって精神的足腰のようなものが鍛錬されていく。その足腰が文字通り地に足をつけるパワーになるんですね。

そのための前準備を大学生の今のうちからできる人たちもいるわけです。一方で、今のうちはただ頭の中だけで考えて就職してからいきなりそれを始めなきゃいけない人もいます。するとその差は歴然になるんですね。学生時代のうちからサークルの活動であれ何であれ、学校のことに限ることなく頭の中に逃げ込んでしまわないような地に足をつけ始める準備を始めていたら、少し他の人たちと差がつくかなという気はしますね。たかが2,3年ですが、少しでも早くスタートを切っていた方がいいだろうなと。とはいっても、学生時代のうちはおそらくほとんどうまくいかないんですけれども(笑)。学生時代が終わった後が修行の本当の始まりなわけですね。

これからの展望

松本さん

(松本) 僕の場合は一旦“修業”期間に(笑)。留学しようかなと思っています。人と宗教の関係はとても個人的な問題だと思うんですけど、ただその周辺にはいろんな具体的な物事があって、それが動いていくためには人間の社会ですから組織があってということになるんですね。自分も伝統仏教の教団にいての問題意識として、やっぱりそこに人が集まって組織があれば経営っていうのがとても大事なことだと思うんですね。とかく宗教において経営を論ずるのはタブー視されてるというか、経営っていうとすぐお金に結びついちゃうから「宗教を食い物にするのか」っていう短絡的な話になりがちなんですけど、実際にそういうものがあるのならそれは運営していかなきゃいけないわけですから、そこにはあるべき経営の形っていうのが何かしらあると思うんですよね。それはもっと積極的に考えられるべきだし、うわべだけきれいごとを言ってそういう話をうやむやにしてお金の使い道が分からなくなっている現代の伝統仏教の現状の方がかえって問題だと思っているので、その辺をもっとクリアにしていきたいなと。そのためには、留学して経営などを勉強したいと思っています。また学生に戻るんですね(笑)。だから小池くんとは同じ仏教だけど、仕事は全然違うんですよね。ただ、違う角度からだけど問題意識は結構共有してる部分はあると思うんですね。小池くんはこれから展望はあるんですか。

(小池) ええ。まずは自分自身の修行を継続すること。それから、日本全国をまわりながら、研修会や授業のかたちで、こつこつと色々な層の人々に坐禅の指導をし続けること。それを通じて、自己コントロールができる人の数が日本の中で少しずつ増えていく。そんなちょっとした種ですね、よい種を蒔いてまわって、この国が改善されていくことに努められればな、と思っています。ただ明確なビジョンとしてこれから何をするか、みたいなことはそんなに考えていません。あまりそういったことを思い描いても実現するかどうかとかはまた別の話ですから。

(松本) じゃあ、僕は経営面から種蒔きを効率化・継続化する仕組みづくりのお手伝いができれば、面白くなりそうですね(笑)。

プロフィール

小池 龍之介 (こいけ・りゅうのすけ)

月読寺住職、正現寺副住職。1978年生まれ。教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科卒。2003年、ウェブサイト「家出空間」を立ち上げる。2003年から2007年まで、お寺とカフェの機能を兼ね備えた「iede cafe」を展開。それ以後、月読寺に住まいながら、自身の修行と、一般向けに坐禅指導をすることに専念。著書に『「自分」から自由になる沈黙入門』『偽善入門』『煩悩フリーの働き方。』『煩悩リセット稽古帖』『「自分」を浄化する坐禅入門』がある。

松本 圭介 (まつもと・けいすけ)

浄土真宗本願寺派僧侶、布教使。東京・神谷町光明寺所属。1979年生まれ。文学部思想文化学科哲学専修課程卒。 2003年に宗派を越えた僧侶や仏教に興味のある人たちが集うウェブサイト「彼岸寺」を設立。その後、お寺を会場とした音楽イベント「誰そ彼(たそがれ)」や寺院内カフェ「ツナガルオテラ 神谷町オープンテラス」を運営している。著書に『おぼうさん、はじめました。』がある。

リンク

「家出空間」(小池さんの主宰によるサイト) http://iede.cc/

「彼岸寺」(松本さんの主宰によるサイト) http://www.higan.net/

著書紹介

小池さんの著書を見る 『「自分」から自由になる沈黙入門』 小池龍之介


松本さんの著書を見る 『おぼうさん、はじめました。』 松本圭介


(編集:東京大学UTLife)